【AICE連載セミナー】カーボンニュートラルをリードするEUの政策動向とその影響1(疋田 敏勝 第1回)
- コラム
2025.07.14
【AICE連載セミナー】カーボンニュートラルをリードするEUの政策動向とその影響1(疋田 敏勝 第1回)

疋田様に執筆頂いた記事を、2回に分けて掲載いたします。
著者 疋田 敏勝
(一般財団法人カーボンニュートラル燃料技術センター 前欧州事務所長)
はじめに
EUは、2030年までにGHG排出量を1990年対比で55%削減し、2050年までのネットゼロを目標に掲げる「欧州グリーンディール」の下、2030年までの道筋をカバーし、包括的に推進する「Fit For 55」政策パッケージや、再生可能エネルギーの迅速な導入によりロシア産化石燃料依存からの脱却を目指す「REPowerEU」計画など、世界に先駆けた環境・エネルギー政策を展開してきました。
欧州環境庁(European Environment Agency:EEA)によると[1]、2023年のGHG排出量見通しは、前年対比▲8%、1990年対比では▲37%と、2020年のコロナ危機を除き、ここ数十年で最大の削減となることが見込まれていますが、現行政策では2030年GHG排出量は43-49%、2050年は57-66%の削減にとどまるとされており、目標実現にはさらなる取組が必要と分析されています。
そうした中で、近年は地政学的・経済的な環境変化─エネルギー価格の高騰や米国・中国との競争激化─は、欧州経済に大きな影響を及ぼしており、経済全体の成長が鈍化傾向にあります。
このような状況を受けて、フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は、これまでの「環境重視」から「産業競争力強化」へと政策の軸足を移す、新たな方向性を打ち出しています。
本稿では、ネットゼロ実現に向けたEUの現行の環境・エネルギー政策と、今後の政策の方向性を概説します。
現行の環境・エネルギー政策
EUの環境・エネルギー政策は、厳格な規制を通じて市場における需要を創出するとともに、規制の遵守を義務付け、違反時には罰金を科すといった「鞭」の側面が強い特徴があります。
欧州の石油製品需要の約66%を占める輸送分野(道路輸送49%、航空輸送8%、海上輸送9%)では、各モードにおいて以下のような政策が導入されています。
まず、道路輸送においては、2035年までに内燃機関車の新車販売を事実上禁止する「CO2排出基準規則」が策定されています。航空輸送では、持続可能な航空燃料(SAF)の段階的導入を義務付ける「ReFuelEU Aviation規則」、海上輸送では、船舶に使用される燃料のエネルギー当たりのGHG排出量(GHG強度)の削減を義務付ける「FuelEU Maritime規則」が導入されています。つまり、電動化が可能な分野においては電気自動車(BEV)などによる電化を推進し、困難な分野ではバイオ燃料や合成燃料といった低炭素燃料の活用を促進することが、主要な脱炭素戦略と位置付けられています [2] [3]。
現行政策見直しに向けた動き
ネットゼロの実現に向けて、これまでに数多くの環境・エネルギー政策が提案・実施されてきました。しかし、ロシア制裁後のエネルギー価格高騰に伴うインフレや景気停滞、気候変動対策による過度な負担増への反発などを背景に、EU各国の選挙において、「EU懐疑主義」や「反気候変動政策」を掲げる右派ポピュリズムが躍進、オランダやオーストリアでは極右政党が第1党に、ドイツでも極右・ドイツのための選択肢が、中道左派・社会民主党や環境派・緑の党を抜いて第2党になるなど、右傾化の傾向が見られました。
2024年6月に行われた欧州議会選挙においても右派政党が議席を伸ばしました(図1)。産業界からは”期待したほどの右傾化ではなかった”とする声もありますが、これまで欧州議会では、中道と左派の連携で環境政策を可決してきたため、議会構成の変化が、今後の政策に及ぼす影響は大きいと言えます。

さらに、2024年9月に公表された「ドラギレポート」は、EUの経済競争力に関する評価と戦略的提言を目的としたものであり、これまでの欧州政策に転換を促す重要な転機となったと言えます。フォン・デア・ライエン欧州委員長は2023年9月にストラスブールで開催された欧州議会本会議での「EUの現状に関する演説」の中で、マリオ・ドラギ前欧州中央銀行総裁兼イタリア首相に、本報告書の作成を依頼したことを明らかにしています。この報告書では、米国・中国とのイノベーションギャップの解消や、脱炭素化と競争力強化の両立に向けた産業政策の必要性、安全保障の強化・依存度の低減、規制の簡素化と統一などが強調されており、自動車政策に関しては「産業政策なしに気候政策を導入した計画不足の顕著な例」と評価、技術中立の欠如も指摘しています[4]。
事実、欧州自動車工業会(ACEA)は2024年9月の声明において、欧州自動車業界はBEV推進に向け数十億ユーロの投資を行ってきたが、CO2排出基準規則は、インフラ整備の遅れやユーザーの購買意欲、さらには地政学的・経済的な環境変化が考慮されておらず、欧州自動車業界の競争力低下を招いていると指摘、欧州委員会に対し同規則の見直しを要請しています[5]。
同規則の2025年目標達成(2021年対比でCO2排出量▲15%)には、新車販売の約5台に1台をBEVにする必要がありますが、2024年の新車販売に占めるBEV割合は13.6 %と、ガソリン車、ハイブリッド車に次ぐ3番目となっており[6]、2025年目標未達による各社の罰金総額は最大160億ユーロに上る可能性があることから、業界からは規制緩和を求める声が上がっていました。
この課題については、2025年目標に限り、単年ではなく、3年間平均値(2025〜2027年)で遵守状況を判断する「柔軟性」を導入することが決定しており[7]、EUの政策転換のシグナルとも捉えることができます。
今後の環境・エネルギー政策の方向性
欧州委員長として2期目を務めるフォン・デア・ライエン氏の下、2024年12月に新たな欧州委員会が発足、これを受けて、今後の欧州における政策の方向性を示す「競争力コンパス」が発表されました。この「競争力コンパス」では、”イノベーション格差の解消”、”脱炭素化と産業競争力のための共同ロードマップ”および”過剰な依存の軽減と安全保障の強化”という3つの重点分野を、”規制の簡素化”、”単一市場への参入障壁の撤廃”、”競争力強化のための資金調達”、”スキルと質の高い雇用の促進”、”EU・加盟国レベルでの政策のより良い調整”という横断的な取組みで補完するとされており、”脱炭素化と産業競争力のための共同ロードマップ”においては、2050年ネットゼロ目標を堅持すること、そして、脱炭素化政策は、産業・競争・経済・貿易政策を適切に統合することで、力強い経済成長の推進力となることが強調されています[8]。
また、2025年2月には、欧州産業の競争力と回復力を強化するための政策文書「クリーン産業ディール」が発表されました(表1)。ここでは、主にエネルギー集約型産業とクリーンテック支援に焦点を置いたロードマップが提示され、技術中立的アプローチの原則の下、エネルギーコスト削減や規制の簡素化などを進め、脱炭素化促進と欧州製造業の将来確保の両立を目指すとしています[9]。
欧州委員会による政策方針について、産業界も概ね評価していますが、例えば、欧州燃料製造連盟FuelsEuropeは、様々な分野の脱炭素化に貢献する燃料業界に関する行動計画が欠如している点や、2035年以降の自動車政策において合成燃料以外の低炭素燃料(バイオ燃料など)が認められていない点を、欧州再生可能エタノール協会ePUREは、他国がバイオ燃料の効果的な利用を進める中、道路輸送の脱炭素化を単一技術(BEV)のみに依存し続ける点など、技術中立的アプローチの原則が軽視されていることに対する懸念や、特定産業の役割が十分に評価されていない点について改善を求める声が上がっており、今後、こういった点がどのようにカバーされていくのか、その動向が注目されます [10][11]。

おわりに
本稿では、EUの現行の環境・エネルギー政策と今後の方向性について概観しました。現在、欧州は「環境重視」から「産業競争力の強化」へと政策の軸足を移しつつあり、大きな転換点を迎えています。欧州のこうした先行事例から何を学び、どの要素を日本に取り入れるべきか、慎重に見極めることが今後の課題です。
次回コラムでは、ネットゼロ実現を前提とした欧州における低炭素需要見通しや欧州石油業界への影響について、ご紹介します。
参考文献
[1] EEA, Trends and projections in Europe 2024
[2] JPECレポート, ネットゼロに向けた欧州における環境政策の動向(No,230303)
https://www.pecj.or.jp/wp-content/uploads/2023/03/JPEC_report_No.230303.pdf
[3] JPECレポート, 「Fit For 55」と運輸部門における低炭素燃料の需要見通し(No,240203)
https://www.pecj.or.jp/wp-content/uploads/2024/02/JPEC_report_No.240203.pdf
[4] The Draghi report:the future of European Competitiveness
https://commission.europa.eu/topics/eu-competitiveness/draghi-report_en#paragraph_47059
[5] ACEA, European auto industry calls for urgent action as demand for EVs declines
[6] ACEA, New car registrations: +0.8% in 2024; battery-electric 13.6% market share
[7] Council of the EU, CO2 emissions in cars: Council gives final approval to additional flexibility for carmakers
[8] European Commission, An EU Compass to regain competitiveness and secure sustainable prosperity
https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/ip_25_339
[9] European Commission, A Clean Industrial Deal for competitiveness and decarbonisation in the EU
https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/ip_25_550
[10] FuelsEurope, The European Commission should not lose the Compass on renewable and low-carbon fuels!
[11] ePURE, The EU needs a more flexible approach to transport defossilisation
https://www.epure.org/news/the-eu-needs-a-more-flexible-approach-to-transport-defossilisation/