【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第1回)(成城大学 平野 創)
- コラム

2026.06.04

【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第1回)(成城大学 平野 創)

【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第1回)(成城大学 平野 創)

著者 成城大学:平野 創

 

【各回の内容】

 第1部 歴史が示すエネルギー転換の条件

 第1回 エネルギー転換の歴史:鯨油から石油へと至る最初の転換

 第2回 エネルギー革命の教訓:合理化と「動く目標」の罠

 第3回 経営環境の変化とその対応:転換期に問われた意思決定

 第4回 エネルギー危機の教訓:不安定性と一貫性のはざまで

 

===以下は別のコラムとして執筆===

 第5回 カーボンニュートラルと製造業:確実な低炭素社会の実現を目指す

 第6回 カーボンニュートラルとエネルギー産業:製造業に先行したCNの実現

 第7回 エネルギー産業の上から目線:需要家目線の重要性

 第8回 不確実性をどう考えるのか:予見される3つのシナリオと行動することの意義

 第9回 カーボンニュートラル社会を目指す際の要点:本質に立ち返る重要性

 

第1部 歴史が示すエネルギー転換の条件

第1回 エネルギー転換の歴史:鯨油から石油へと至る最初の転換

 

はじめに:なぜ過去のエネルギー転換を振り返るのか

近年の重大な社会的課題として,カーボンニュートラル(CN)の実現が存在しており,エネルギー産業・企業にとっては,「石油や石炭など既存の化石系のエネルギー」から「再生可能エネルギーを中心としたCNエネルギー」へのエネルギー転換が求められる状況となっている.

本コラムでは,まず第1部(第1~4回)において,過去のエネルギー転換を取り上げ,新エネルギーの普及プロセスを振り返る.また,その結果として社会や企業がどのように変容したのかという点についても検討する.第1部では,歴史をたどりつつ,それぞれの事例から得られる示唆を整理し,将来のエネルギー転換を考える際に切り口となる視点を提供したいと考えている.

第2部(第5~7回)では,日本における将来のエネルギー構造をマクロに捉え,カーボンニュートラルを目指すためには,エネルギー産業が先行し,製造業がそれに追随するという段階的な戦略が必要であることを示す.その際,見落とされがちな論点として需要家目線の重要性についても言及する.

第3部(第8~9回)では,不確実な将来に我々がどのように向き合えばよいのかを考える.CNの実現可能性にはきわめて大きな不確実性があることを指摘したうえで,それでもなおこの問題に取り組む意義がどこにあるのかを検討する.また,CNの実現は,日本の産業や国民にとって,あくまで手段であり,目的ではないという点についても論じていく.

本コラムが提示するのは,法則性でも答えでもなく,「気づき」に至るための切り口であると筆者は考えている.

 

鯨油から石油へのエネルギー転換の歴史:なぜ移行は驚くほどスムーズだったのか

一般に石油へのエネルギー転換として広く認識されているのは石炭からの代替であるが,石油が初めて代替したエネルギーは鯨油であった[1].鯨油は米国などで光源として広く用いられていた.

しかしながら,供給および需要側の双方の事情から鯨油価格が高騰し,新たなエネルギー源の発見が求められた.まず,供給側の要因について概観すれば,1760年頃になると大西洋において鯨の生息数が減少し,より遠洋(インド洋,太平洋等)にて捕鯨活動をする必要が生じていた.このため,鯨油の精製装置を搭載した船は4年以上の航海をすることもあったという.日本との関連でいえば,1853年にペリー率いる黒船が来航し,捕鯨船を含む米船舶の補給・寄港地確保を目指したのもこの流れの一つであった.また,捕鯨業界においては,人材育成も十分に行われず,結果として熟練捕鯨者の不足という問題も深刻化した.1848年からのゴールドラッシュにより,賃金の低い捕鯨従事者が金採掘へ転向したことで人材不足に拍車がかかった.その一方で需要側については,経済活動の活発化により鯨油需要が増大していた.これらの要因により,鯨油価格が高騰し,新たな光源が求められるようになったのである.

 こうした時期に米国において世界初の機械掘りによる石油の採掘がはじまった.1859年エドウィン・ドレーク大佐[2]がペンシルバニア州タイタスビルにおいて,機械式掘削により原油生産に成功した(ドレーク井).同地において多数の石油採掘業者が勃興し,タイタスビルには石油の採掘で一攫千金を夢見る人々が集まり,オイルラッシュともいうべき様相を呈するようになったのである.

 鯨油から石油への移行は20年程度という短期間で順調に進んだとされる.その背景として,供給側では,最初期には石炭油を抽出する簡易な蒸留釜を石油精製用に転用できたため,供給設備面での初期投資が小さかった.その後,原油精製技術が進展し,市場が形成されたことにより,石油の価格は急速に低下し,利用拡大へとつながった.また,需要側については,鯨油用のランプに新たなエネルギーである石油(厳密には原油を精製して生産された灯油)を入れて使用することが可能であり,転換に際しても消費者側に大きな負担は生じなかった.このように石油の導入時には,需給の両側面において,インフラ面で変更や初期投資が小さかったことが短期間での移行につながったといえる.

 その後,巨大な石油企業の誕生により石油産業の拡大が加速するのであるが,その拡大過程ではロジスティクスという,油田の発見や採掘・精製等の生産技術などに比べれば副次的な要素が企業にとって重要であった点も興味深い.ジョン・ロックフェラーにより設立されたスタンダード石油は,1870年の創業当初から採掘や精製よりも輸送・販売といった下流工程に経営資源を集中させた.鉄道会社との間で大量輸送契約を結び,輸送量に応じた「割引運賃(リベート)」を獲得する一方,競合他社には高額の運賃を課す差別的契約を活用した[3].ロックフェラーは「資源を掘る」ことよりも「流れを支配する」ことに価値を見出した経営者であった.スタンダード石油は製油・輸送・販売を垂直統合し,規模の経済を極限まで追求することで価格支配と安定供給を両立させ,1880年代までに石油精製市場の約8割を掌握することに成功した.しかしながら,その支配力の強大さゆえに同社は1911年にはシャーマン反トラスト法の適用を受け,34社に分割されるという帰結に至った.

【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第1回)(成城大学 平野 創)

“照明の代替品”から“国家インフラ”へ:メジャーと国際秩序の成立

 当初,光源として用いられていた石油は,20世紀に入り需給ともに大幅な拡大を見せる[4].需要については,自動車,航空機,船舶等の輸送用燃料として利用が拡大していく.英国海軍では,20世紀初頭から軍艦燃料を石炭から石油へ転換する動きが進み,チャーチルの下でその方針が本格化した.供給については,米国以外にもロシア,メキシコ,オランダ領東インド(インドネシア) ,旧トルコ帝国領メソポタミア(イラク),サウジアラビアなどで次々と石油資源が発見されていった.サウジアラビアについては,地表に油徴が見られず,当初は石油資源が期待されていなかった.しかしながら,ニュージーランド人のフランク・ホームズ大佐が石油採掘に挑み,この採掘権はガルフ社,さらにソカール社へと移り,最終的に1938年に石油が発見された.ホームズ大佐による挑戦は,石油採掘に関する知見に乏しい素人であったからこそ実現した発見であったとも言える.

 これらの地域では,英米系を中心とした7社の企業(セブンシスターズ)が多数の石油利権を獲得し,結果として世界の石油市場を支配することになった.これらの国際石油資本(メジャー)間で国際石油カルテルも結ばれた.図1に示されるように,これらの企業は今なお石油事業を継続しており,業界において大きな力を有している.石油は20世紀の産業競争力と安全保障の中枢に組み込まれ,国家と企業の利害が重なり合う戦略資源となった.エネルギー供給は,もはや一企業のビジネスではなく,国際秩序そのものの問題へと転化したのである.

 

事例からの含意:既存インフラ,ロジスティクスの重要性

 これらの事例からは,エネルギー転換時における既存インフラやロジスティクスの重要性が浮き彫りとなる.鯨油から石油への転換のように,ユーザー側でインフラの変更を必要とせず,スイッチングコストが低いケースでは,移行は比較的円滑に進んでいる.したがって,CN社会の実現に向けても,既存の電力網を活用した再生可能エネルギーの拡大,既存の都市ガス導管を活用した合成メタンの導入,既存の石油流通網を活用した合成燃料の供給といった方策は,新エネルギーへの円滑な移行に寄与するだろう.

これらの歴史の事例を自動車に援用すれば,電気自動車は電力網というインフラを有するという優位性が存在している.しかしながら,電気自動車に関しては,航続距離や充電時間というユーザー側にとっての負担が大きいため普及が妨げられるとも考えられる.したがって,ユーザー側の利便性を踏まえれば,当面はハイブリッド車を利用し,燃料を脱炭素化することが近道であり,そこには「低炭素から脱炭素へ向かう確かな道筋」が存在すると考えられる.また,水素に関しては,既存のインフラも存在せず,さらにユーザー側のスイッチングコストも大きいため,自動車への活用には時間を要する.水素については,その初期段階ではコンビナートなどのまとまった需要が存在する場所(産業系)において計画的にインフラ構築と需要創出を同時に行うことがカギとなり,その後に広範な需要を開拓していくというプロセスとなる.

権益を確保したければ,市場の拡大初期にメインプレーヤーとなることが重要であり,不確実性が存在していようとも積極的に行動する重要性が浮かび上がる.CN社会への移行が実現した際には,砂漠地帯の土地(太陽光発電用),アンモニア・MCHなどの工場,輸出港湾等がある種の権益となっていく可能性がある.輸入エネルギーに依存している国は日本にとどまらないため,これらの権益確保やサプライチェーンの構築に際しては,他の資源小国や輸入国と連携したり,これらの国々を相手とした資源ビジネスを展開したりすることを念頭に入れる必要があるだろう.

 

また,ロックフェラーが石油という資源の採掘や精製ではなく,鉄道やパイプラインといった流れを支配する「経路」に本質的価値を見出した事例からは,自動車産業においてもエンジン技術や燃費競争といった「製品中心の価値」から電力やデータ,ソフトウェア,次世代の燃料供給インフラといった「経路中心の価値」へと焦点を向けていくことの重要性が浮かび上がる.今後の自動車は単体で完結する製造物ではなく,エネルギー供給網と情報通信網の「接点」として機能する存在となる可能性がある.したがって,経営者が考えるべきは「どのような車を作るか」ではなく,どのようなエコシステムの中で車を位置づけるかという点になる.製品の完成度よりもネットワークを設計し,他者を巻き込む力が産業転換期の重要な経営資源となるだろう.

 

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(参考文献)

Anderson, T. L.1979“The Standard Oil Monopoly: Did Railroad Rebates Make the Difference?” The Economic History Review, 32(3), 474–484.

瀬木耿太郎(1988)『石油を支配する者』岩波新書.

石油連盟(2022)『今日の石油産業2022』.

松島潤編(2019)『エネルギー資源の世界史』一色出版.

ヤーギン,D.(1991)日高義樹・持田直武(訳)『石油の世紀』日本放送出版協会.

[1]鯨油から石油へのエネルギー転換の事例については,松島編(2019)を参照した.

[2]ドレーク大佐は実際には元鉄道員であった.箔を付けさせ物事をスムーズに進行させるために,会社側が「ドレーク大佐」宛の郵便物を現地に多数送り,現地の人々に彼を大佐と思わせるようにしていた.

[3]この「秘密割引契約(rebate system)」は,当時の米国経済史研究でも確認されており(Anderson, 1979; ヤーギン, 1991),同社が市場支配力を確立する要因の一つとされる.

[4]石油需要の拡大と国際石油資本の誕生については,瀬木(1988),ヤーギン(1991)を参照した.

 

 

 

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