【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第4回)(成城大学 平野 創)
- コラム

2026.09.02

【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第4回)(成城大学 平野 創)

【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第4回)(成城大学 平野 創)

著者 成城大学:平野 創

 

【各回の内容】

 第1部 歴史が示すエネルギー転換の条件

 第1回 エネルギー転換の歴史:鯨油から石油へと至る最初の転換

 第2回 エネルギー革命の教訓:合理化と「動く目標」の罠

 第3回 経営環境の変化とその対応:転換期に問われた意思決定

 第4回 エネルギー危機の教訓:不安定性と一貫性のはざまで

 

===以下は別のコラムとして執筆===

第5回 カーボンニュートラルと製造業:確実な低炭素社会の実現を目指す

第6回 カーボンニュートラルとエネルギー産業:製造業に先行したCNの実現

第7回 エネルギー産業の上から目線:需要家目線の重要性

第8回 不確実性をどう考えるのか:予見される3つのシナリオと行動することの意義

第9回 カーボンニュートラル社会を目指す際の要点:本質に立ち返る重要性

 

第4回 エネルギー危機の教訓:不安定性と一貫性のはざまで

今回のコラムでは,1970年代に二度にわたり発生した石油危機に注目する.石油危機は,戦後日本経済が初めて経験した本格的なエネルギー供給ショックであり,それまでの「安価で安定した石油依存構造」を根底から揺るがせた出来事であった.この危機を通じて,日本のエネルギー政策,産業構造,そして技術開発の方向性は大きく変化した.

本稿では,まず国際石油資本(いわゆる「メジャー」)と産油国の関係構造の変化を踏まえ,石油危機発生の国際的背景を整理する.次に,危機が日本のエネルギー供給体制や主要産業に及ぼした影響をたどり,その後の政策対応や産業再編の動きを検討する.最後に,これらの歴史的事例から現代のエネルギー転換に通じる示唆を導き出したい.

 

国際構造の転換:メジャー支配からOPECの台頭へ[1]

 石油危機が発生する以前,国際石油資本,いわゆる「メジャー」と呼ばれる欧米の巨大石油企業は,産油国との間で超長期にわたる利権操業契約を締結し,極めて低廉なコストで原油の採掘・輸出を行っていた.これらの契約において産油国が得る取り分は限定的であり,石油による収益の大部分はメジャーによって独占されていた.1950年前後からは産油国の不満と圧力を受ける形で利益折半方式(50:50制度)へと移行する動きが見られた.この方式ではメジャーが設定する公示価格(posted price)を基準にその一定比率が産油国に支払われる仕組みとなった.しかし,この公示価格自体がメジャーの一方的な裁量により引き下げられるケースが多く,結果として産油国の収入は安定性を欠き,不公平感が高まった.

 こうした状況に対抗するため,1960年には主要な産油国によって石油輸出国機構(Organization of the Petroleum Exporting Countries, OPEC)が設立され,メジャーによる価格支配に対抗する国際的な枠組みが形成された.OPEC1971年に石油会社に対する産油国側の課税率を従来の50%前後から55%へ引き上げるとともに,課税基準となる公示価格の改定にも成功した.これにより,原油価格や収益配分をめぐる産油国側の交渉力は大きく強化されることになった.その後,1973年に勃発した第4次中東戦争を契機として第一次石油危機が発生した.アラブ産油国による石油供給制限と価格の引き上げにより,原油価格は従来の約4倍に急騰し世界経済に深刻な打撃を与えた.さらに1979年のイラン革命を背景として第二次石油危機が発生し,原油のスポット価格は約12ドルから約40ドルへと急騰する事態となった.

 

石油危機の衝撃:脆弱なエネルギー構造と政策対応[2]

こうした国際的な供給ショックは,日本にとりわけ大きな影響を及ぼした.その理由は,当時の日本のエネルギー構造にある.当時の日本は一次エネルギー供給の約78%を石油に依存しており(フランスは67%,イギリス50%,西ドイツ47%,アメリカ47%であった),他の先進諸国と比較しても著しく高い石油依存度であった.この体質は,資源小国である日本が経済成長を支えるために,諸外国に先駆けいち早く石油の安定的かつ低廉な輸入体制を整備してきたことの帰結でもあった.すなわち,それまでの成功モデルそのものが,ショック時には脆弱性として露呈したのである.

こうした状況を受けて日本政府は,エネルギー供給体制の脆弱性を克服すべく,供給の安定化およびエネルギー源の多様化に向けた一連の政策を推進した.その一環として1976年には石油備蓄法を施行し,国家としての備蓄能力を強化する体制が構築された.また,代替エネルギーの開発を目的とした大型技術開発計画として「サンシャイン計画」(太陽エネルギー,地熱,合成天然ガス,水素エネルギーなど新エネルギーの実用化を目指した)および省エネルギー技術開発を企図した「ムーンライト計画」が策定された.しかしながら,1980年代後半における国際原油価格の長期的低迷はエネルギー危機の緊張感を薄れさせ,結果としてこれらの技術開発に対する必要性の認識と政策的な意欲を減退させた.結局,太陽光をはじめとするいわゆる再生可能エネルギーは,当時の技術水準においては供給量やコスト面で石油を代替するには至らなかった.そのため,エネルギー政策の中核的な選択肢としては,より安定した供給が可能な原子力発電の導入が加速されることになった.

 

産業構造の転換:危機が分けた再編と淘汰

石油危機は,エネルギー多消費型の産業に深刻な打撃を与える一方で,環境変化への適応に成功した企業や業種には飛躍の契機をもたらした.危機は単なる停滞ではなく,産業構造を再編する「分水嶺」となったのである.

まず,エネルギー多消費産業では,原油価格の高騰により設備稼働率と利益率が長期にわたって低迷する,いわゆる「構造不況業種」が出現した.これに対処するため,政府は特定不況産業安定臨時措置法(1978年)や特定産業構造改善臨時措置法(1983年)を制定し,過剰設備の整理や生産調整などの法的措置を講じた[3]

しかしながら,同じ不況業種でもその後の展開は一様ではなく,石油危機を経て明暗が分かれることとなる.石油化学産業は,構造不況業種の中でも再生に成功した典型である.1985年までに法的な設備処理を完了させた後,製品の高付加価値化と内外需要の拡大によって生産を回復させた.1982年に359万トンまで落ち込んでいたエチレン生産量は,2007年には過去最高の774万トンへと増加し,再成長を遂げた(平野,2016).さらに,半導体材料,リチウムイオン電池,液晶パネルなどの電子材料分野では世界的シェアを拡大し,高収益構造を実現した(橘川・平野,2011).一方で,アルミニウム製錬業はエネルギーコスト上昇に耐えられず,政府の想定を上回る速度で撤退が進んだ.国内製錬能力は最盛期の1977年には146万トンを誇ったが,1987年にはわずか1工場・35000トンに縮小し,現在では国内製錬そのものが行われていない(三和,2016).政策の主眼も国内生産の維持から,海外製錬への資本参加と輸入による地金確保へと転換された.

また,石油危機を契機として飛躍した代表的な産業が自動車である(宇田川,2013).ガソリン価格の高騰は世界的な需要冷え込みを招いたが,そのなかで燃費効率の高い日本製小型車への需要が急増した.主要先進国の自動車生産台数が1970年代を通じて約1.3倍の伸びにとどまるなか,日本は年平均10%近い成長を維持し,10年間で生産台数を約2倍に拡大した.1980年代には米国を抜いて世界最大の自動車生産国となり,日本車は「品質・燃費・価格」における総合競争力によって国際市場を席巻した.こうして石油危機は,一部の産業の衰退と同時に,成長産業の飛躍をも促す「産業構造の転換点」となったのである.

これらの動向を俯瞰すると,エネルギー状況の変化に合わせて新たな企業が勃興したというよりも,むしろ既存企業の中で環境に適合した企業が飛躍したことが分かる.変化以前からの技術蓄積や事業多角化といった布石が,危機後の成長を左右したのである.エネルギー危機は新旧の企業を入れ替えたのではなく,同じ枠組みのなかで適応能力を持つ者を選別したといえる.

【AICE連載セミナー】エネルギーの歴史とカーボンニュートラル(第1部 第4回)(成城大学 平野 創)

事例からの含意:エネルギー環境の不安定性と戦略的一貫性

 第一に,1970年代に日本が直面したエネルギー危機に対する対応策,すなわち石油備蓄の強化,供給源多角化,新エネルギー技術開発などは,今日のエネルギー政策や技術開発の議論と極めて重なっている.とりわけ,サンシャイン計画が掲げた太陽エネルギー,地熱,合成天然ガス,水素エネルギーといった代替エネルギーの選択肢は,半世紀後の現在においても主要な論点であり続けている.これは二つの可能性を示唆する.一つは,これらの選択肢が持続可能性,環境負荷の低減,技術的実現可能性といった観点からみて依然として合理的な「正解」に近いという見方である.もう一つは,決定的な解決策となる技術や仕組みがなお確立されていないために,従来のメニューが更新されずに残存し続けているという見方である.いずれにせよ,政策立案者・企業経営者は,どちらの要因が優位に働いているのかという点にも留意し,技術ポートフォリオそのものを批判的に点検し続ける必要がある.

第二に,原油価格の不安定性は1970年代にとどまらず,その後も形を変えて持続した.1980年代後半から1990年代にかけては一時的な低位安定を経たものの,2000年代以降は再び原油価格の乱高下が顕在化した(図2).その背景には需要構造の変化(省エネルギー・新興国需要),地政学リスク,投機資金,さらには米国のシェールオイル増産など,複数の要因が複雑に絡み合っている.これに加え,為替(円の実効レート)の変動も輸入エネルギー価格に大きな影響を及ぼす.すなわち,エネルギーを取り巻く環境条件は本質的に安定せず,単一の前提を長期的に据え置くことはできない.

 

エネルギーを取り巻く環境が本質的に不安定であるという事実は,企業・産業・政策の側に,長期トレンドと短期トレンドの峻別を迫る.カーボンニュートラルを目指すことは長期的な方向性として不可逆的な潮流である一方,たとえば近年の欧州・中国を中心とした急速なEV化の波は,より短期の競争・規制・市場の変動に依存した現象として位置づけることができる.重要なのは,短期トレンドに振り回されることなく,長期トレンドに即した施策・投資・経営資源配分を一貫して積み上げることである.

同時に,エネルギーを取り巻く価格・需給・為替・地政学的環境は,本質的に安定しないという前提から目をそらしてはならない.安定を所与とした静的な制度や戦略ではなく,変動そのものを前提に,長期的な方向性を持続的に具体化していく制度や戦略を設計することが求められる.

 

 前の記事へ      次の記事へ(更新をお待ちください)

【参考文献】

宇田川勝(2013)『日本の自動車産業経営史』文眞堂.

橘川武郎・平野創(2011)『化学産業の時代』化学工業日報社.

瀬木耿太郎(1988)『石油を支配する者』岩波新書.

平野創(2016)『日本の石油化学産業』名古屋大学出版会.

平野創(2020)「石油危機」筒井清忠編『昭和史講義【戦後篇】(下)』所収,筑摩書房.

三和元(2016)『日本のアルミニウム産業』三重大学出版会.

ヤーギン,D.(1991)日高義樹・持田直武訳『石油の世紀』日本放送出版協会.

渡辺純子(2016)『通産省(経産省)の産業調整政策』RIETI Discussion Paper Series, 16-J-033

[1]国際石油資本による支配と石油危機の発生については,瀬木(1988)およびヤーギン(1991)を参照した.

[2]石油危機による日本への影響については,平野(2020)を参照した.

[3]これらの一連の動きについては,渡辺(2016)が詳しい.

  • 一覧に戻る